小林康夫「存在とは何か〈私〉という神秘」
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小林康夫「存在とは何か〈私〉という神秘」
現代哲学、表象文化論を専門にする東大名誉教授が「存在とは何か」哲学史を振り返りながら考察する。さらに量子力学的な波動論や数学の複素数論と結びつける道筋を作る。
そういうけっこうな大風呂敷を広げた内容紹介を読んで興味が出た。
哲学が専門ゆえに最初は著者の認識や物事の定義付けから始まる。
2章になって近代哲学史の概論に触れるのだがデカルトからハイデッカー、サルトルを経て構造主義の誕生からラカンまで、今まで読んだ中で1番わかりやすい説明だった。
そこを踏まえて現在の人文学は物理や数学など自然科学よりも認識や議論が遅れているのではないかと指摘し、自然科学の先端理論、相対性理論や量子力学、複素数論と哲学における実存を結びつけようとする。この後半の試みがこの本の白眉だ。
中世以前「神対実存」だったのが近代になり「言葉対実存」となる。
現在では自分の実在や自我を自分の言葉を通して相手に伝える。ただ相手にも言葉があるため会話や議論はどうしても「良いか悪いか」「ありかなしか」の二元論になる。
相手との会話以前にそもそも自分の実存を自分の言葉で表現しきれないことを考えると実存とは言葉の外にある。これを自然科学における虚数から発想し、実存に対する虚存を仮定して虚存対実存」という議論が可能か探っていく。
「実存対◯◯」という二元論から「実存、実在、虚存、虚在」の四元的世界観へ橋渡しすることで自然科学における量子力学と結びつく訳だ。この試論は見事。
実存は実在する自分の言葉に表せない欲望や夢など、虚在は死後の世界、虚存は存在も確かめられない魔術的、スピリチュアルな概念と考えるとわかりやすい。言葉の二元論で起きてる論争もこの四元で解釈すると議論が小分けして会話を進められそうだ。今は実在に対して実存と虚在、虚存が混じり合って議論しているように感じる。
最近時間や自分や世界は存在しないといった人文書が増えているので似た試論も世に出ている。本人も書いてある通り荒削りな試論だけどわかりやすく面白かった。
東大の名誉教授が自分のわかっていることを伝えた上で、後進へ道標を指し示すというのは広い視野を持った立派な行いだ。なかなかできることじゃない。
「このゲームにはゴールがない」はこの本を買いに行った時に棚で見つけた。相手の心に関する懐疑論についてだったので「言葉と実存」に関する考察だ。こちらの「存在とは何か」を先に読んでいればもっと読みやすかったと思う。
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